2010年5月22日土曜日

本:在日 ~姜 尚中著~

★日本人や朝鮮人など、当事者にとっては、「良書」だと思いました。
「読んでいる途中、いろいろ考えさせられる」という意味での良書です。


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★とっても長い感想↓↓

■1:
今アメリカに半年ほど住んでいるわけですが、
ESLなど、外国人ばかりがいるところにいると心地よいけれど、
純粋なアメリカ人のなかに入ろうとすると、
言葉の壁もあり、
「アジア人が何でここにいるんだ」みたいに思われてるんじゃないか、とか
そんな感覚を抱くことがあります。
(被害妄想かもしれないことは百も承知)
特に白人ばっかりのおしゃれなカフェとかに行くとねえ。。。

「在日」となれば、その何十倍、何百倍もの苦悩があっただろうと思います。
日本人は排他的ではないと言えないし、日常的に韓国や北朝鮮の報道があり、
どうしても国民はメディアに左右されてしまう。

2月にトヨタの一連のリコール問題があったとき、
自分には全く関係が無くても、
「あー…やっちゃったよ…日本のイメージが下がるよ…」と後ろめたかったのを
思い出しました。

でも、この本を読んで、
リコール問題で、まだ良かったのだ、と思いました。
もし、「日本がアメリカに核攻撃をしかけようとしている」なんて報道が
いきなり流れたとしたら、
在アメリカの日本人は縮こまってしまうでしょう。
在日の人たちは、何十年も、そんな日々を送っているんですね。

と、なんとなく自分で立場を置き換えながら読めたのは
アメリカという、別の国に住み始めたからだと思います。
国民性、ナショナリズム、故郷、自分の原点、などについて
どうしても、日々考えてしまいます。


日本に住んでいたときに読んでいたら、
受け取り方がずいぶん違っていたかもしれません。

■2:
私がとても不思議だったのが、
「在日」という存在に、今まで生きてきて、
会ったことがなかったということ。
(いや、会ってたのかもしれないけど、相手から言われてなかっただけかも。
とにかく、「意識したことが無かった」という意味です)
だからこそ、「在日」に対して何も感じることがなかったし、
その人たちがどれだけ苦しんでいるかということを知りませんでした。
おそらく、多くの若い日本人がそうなのではないかと思います。

■3:
本書は著者の「在日」としての自叙伝でもありますが、最後の方の数章は、
南北朝鮮問題に関する政治的意見が書かれていました。
自叙伝だと思って読んでいたら、途中で「あれっ?」という感じになったけれど、
きっと書いてる最中に北朝鮮の報道などが過熱してきて、
本人的に書かざるをえなかったのではないかと思われます。

その記述のなかで、日本人の私から見て意外だと思ったのが、
「北朝鮮」に対してマイナスの感情を持っておらず、
著者は北朝鮮に対して「対等」「平等」な価値観を持っているように思えたことです。

引用//
朝鮮戦争の最初の引き金を引いたのは、北朝鮮だった。
その一方で、韓国も北進武力統一を考えていた。
悲劇的なことに、分断された一方の側も他方と同じように、
武力による統一を考えていたのだ。
それほどまでに、矛盾は激化していた。
こうみれば、米朝間の休戦協定を平和協定に変えようとする
北朝鮮の意図は決して不当ではない。

著者はドイツ留学の際にトランジットで寄ったモスクワの空港で、
「社会主義の衰退を感じた」にも関わらず、
北朝鮮のやり方、考え方を不当ではないと思っている、ということです。

それはなぜか?
と、私なりに推測してみました。↓

・南北分断後の北朝鮮、韓国に生まれた若者たちの多くは、
「自分は北朝鮮人だ」「自分は韓国人だ」と
思っているのではないか。
例えば、韓国人が自己紹介するとき、"I'm from South Korea"ということが多い。
つまり、北朝鮮と韓国は別の国という認識です。
けれど、「在日」としての著者は、
「自分は朝鮮人」で、「自分の故郷は朝鮮半島である」と思っているようです。
これは当然のことで、彼らの親が日本に来る前の朝鮮半島は1つだったので、
その後に南北に分かれたとしても、
「自分はどちら側の人間だ」とは決められないのだろうと思います。

だからこそ、故郷に「また一つに戻ってほしい」と切実に願うのではないか。

では、逆に南北分断された当事者たちはどうなのか、と考えると
引用//
「カン先生、大方の韓国人は、北に対しても
統一に対してもあまり関心がないんですよ。
とくに若い世代ほどそうなのかもしれない。」
と書かれています。また、
南北首脳会談があったときに、連日メディアで報じられていたことは、
南北首相会談のことではなく、
政権中枢の高官と美貌の女性助教授との間のスキャンダルだったそうです。

■4:
ちなみに、
私の韓国経験は、ソウルへ2回の旅行、
北朝鮮の経験はというと、韓国から板門店に行って、
“南北国境を数メートルまたいだ”くらいしかありません。
そこで感じた緊迫感は、記憶にまだ残っているけれど、
それ以外の北朝鮮に対するイメージや知識は、
メディアで報道されている内容くらいしか知りません。
だから、私も「なんだか怖い国」くらいにしか思っていませんでした。
(今もよくわからないし…)
ふと、そこで、メディアに洗脳されている自分への恐ろしさを感じたりもしました。


■5:
この本を読んで、著者が本当に南北統一を願っていて、
そのために人生をかけて頑張っている心を感じました。
その一方で、南北分断の一端を担っていただろう「日本人」の多くが、
そういった「在日」の感情には日々の生活のなかで無関心であることも感じます。
日本に一時帰国して、ニュースを見たとき、
報道枠で流れる「北朝鮮の脅威」と、
芸能枠で流れる「韓国のアイドルグループの活躍」が
1時間のニュース中に並列していることに私は違和感をおぼえました。
また、南北問題に深くかかわるであろうアメリカの世論は?というと、
飛行機内で無料でもらえるからという理由で読んだ「USA TODAY」には
特に北朝鮮の記事は見あたりませんでした。
つまり、アメリカにとって、
北朝鮮の存在はそこまで大きなものではないのだということ。
私は新聞もテレビも最近殆ど見ていないので、(結局ケーブルも解約したし…)
確かなことは言えませんが、
たまに見かけるアメリカのメディアを見る限り、
日本や朝鮮半島のことなどは
アメリカのメディアにとって関心が無く(トヨタの不祥事とかは別にして)、
アフガニスタンやイラク、
または中国の経済発展などにより重きが置かれていると感じます。

日本はアメリカに「安全」を頼っています。
だからこそ、アメリカに関するニュースや、
自国の危険になりそうな北朝鮮や中国などの報道を積極的に行います。

けれど、アメリカ人から見れば、
自分の息子が兵士として派遣されているアフガニスタンの状況とかは気になるけれど、
別に日本の安全なんて日々の関心事ではない、ということです。
それは当然のことなのですが、
日本人としては、日本の将来の安全面が不安です。


■6:
少し違うかもしれませんが、
ハワイに行って日系人の経営する飲食店などに行くと、
真珠湾攻撃時とかの日系人の立場についてすごく考えてしまいます。
彼らに非はなくても、まわりからは責められる。
「在日」と立場がちょっと似ているかもしれません。

そして、そこでサイミン(細麺)をもぐもぐ食べる観光客の私は、
「日系人にどう思われているのだろう…」と少し居心地が悪くなったりします。

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※実は前知識無しに読んだので、(著者のことも全く知らなかった)
「在日」への差別とかの体験を活かした「小説」かと思っていたら、
全然違いました。。。
恥ずかしい。。。

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